2009/09/11(金)
「浄土の慈悲」を語る時、還相回向について説明する必要があります。
親鸞聖人は、浄土真宗の教えの骨組みは2種の回向であり、それは往相回向と還相回向であるとおっしゃっています。
つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。
(教行信証教巻 註釈版聖典135頁)
しかるに本願力の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。
(浄土文類聚鈔 註釈版聖典478頁)
往相回向とは「往生浄土の相状」ということで、浄土に往生していくすがたです。
還相回向とは「還来穢国の相状」ということで、往生成仏の後に浄土から穢土・娑婆世界・迷いの世界へ還ってくるすがたです。
【還相回向】
還相回向について親鸞聖人は、『教行信証証巻』『浄土文類聚鈔』『三経往生文類』などに書いておられます。
二つに還相の回向といふは、すなはちこれ利他教化地の益なり。すなはちこれ必至補処の願(第二十二願)より出でたり。また一生補処の願と名づく。また還相回向の願と名づくべきなり。『註論』(論註)に顕れたり。ゆゑに願文を出さず。『論の註』を披くべし。
(教行信証証巻 註釈版聖典313頁)
『浄土論』にいはく、「出第五門とは、大慈悲をもつて一切苦悩の衆生を観察して、応化の身を示す。生死の園、煩悩の林のなかに回入して、神通に遊戯して教化地に至る。本願力の回向をもつてのゆゑに。これを出第五門と名づく」と。
(教行信証証巻 註釈版聖典313頁)
『論註』(下)にいはく、「還相とは、かの土に生じをはりて、奢摩他・毘婆舎那・方便力成就することを得て、生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、ともに仏道に向かへしむるなり。もしは往、もしは還、みな衆生を抜いて生死海を度せんがためなり。このゆゑに、〈回向を首として大悲心を成就することを得たまへるがゆゑに〉(浄土論)とのたまへり」と。
(教行信証証巻 註釈版聖典313頁)
二つに還相回向といふは、すなはち利他教化地の益なり。すなはちこれ必至補処の願(第二十二願)より出でたり。また一生補処の願と名づけ、また還相回向の願と名づくべし。
(浄土文類聚鈔 註釈版聖典482頁)
二つに還相の回向といふは、『浄土論』にいはく、「本願力の回向をもつてのゆゑに、これを出第五門と名づく」といへり。これは還相の回向なり。一生補処の悲願(第二十二願)にあらはれたり。
(三経往生文類 註釈版聖典629頁)
このように、往生成仏した人が、迷い苦しむ人を救済教化するために再び煩悩に穢れた娑婆世界に還ってきて活動するすがたを還相回向と言います。
それは釈尊と同じように「思うがごとく衆生を利益する」活動です。
【常行大悲の益】
では、信心獲得した人が伝道布教する活動はどうなのかということですが、それは
とおっしゃっているように、御恩報謝の活動です。
仏慧とは大慈大悲のことであると親鸞聖人は書いておられますので、阿弥陀仏の大慈悲が念仏の行者を通して働いているすがたということです。
また、それは
『大悲経』にのたまはく、〈いかんが名づけて大悲とする。もしもつぱら念仏相続して断えざれば、その命終に随ひてさだめて安楽に生ぜん。もしよく展転してあひ勧めて念仏を行ぜしむるは、これらをことごとく大悲を行ずる人と名づく〉」と。{以上抄出}
(教行信証信巻 註釈版聖典260頁)
と安楽集の文を引用しておられるように、行者から言えば、常行大悲の益をうるのだと教えられています。