「21世紀の浄土真宗を考える会」ブログ(アーカイブ)

親鸞会除名後、多くの方に浄土真宗を伝え2012年7月にご往生された近藤智史氏のブログ

法界身の文

2009/09/23(水)

法界身の文によって安心を建てるのは浄土宗西山派の流れであり、浄土真宗では本願成就文によって安心が建てられると言われます。
しかし、それは決して「法界身」の教えが大事ではないということではありません。
もう一度、法界身の文を見てみましょう。
繰り返しますが、大切なところです。
観無量寿経疏には「無礙」の説明もあります。
下に引用する文は、このブログに上げなくても、すべてインターネットで見ることができますし、聖典(註釈版、註釈版七祖篇、現代語版聖典の3冊)があれば分かることですが、一目で見ることができるようにまとめたものです。

観無量寿経 第八像観の法界身のところ
【経文:書き下し文】
仏、阿難および韋提希に告げたまはく、
「この事を見をはらば、次にまさに仏を想ふべし。ゆゑはいかん。諸仏如来はこれ法界身なり。一切衆生の心想のうちに入りたまふ。
このゆゑになんぢら心に仏を想ふとき、この心すなはちこれ〔仏の〕三十二相・八十随形好なれば、この心作仏す、この心これ仏なり。
諸仏正遍知海は心想より生ず。
このゆゑにまさに一心に繋念して、あきらかにかの仏、多陀阿伽度阿羅訶三藐三仏陀を観ずべし。・・・
(注釈版聖典 99~100頁)

〔註〕
○諸仏正遍知海
 正遍知は梵語サムヤック・サンブッダ(samyak-saſbuddha)の漢訳で、如来十号の一。
 等正覚ともいう。
 仏の智慧が広大であることを海に喩えていう。
 正しく完全に真理をさとったあらゆる仏の意。

多陀阿伽度(ただあかど)
 梵語タターガタ(tathāgata)の音写。如来と漢訳する。

阿羅訶(あらか)
 梵語アルハット(arhat)の音写。応供・阿羅漢ともいう。如来十号の一 →如来

三藐三仏陀(さんみゃくさんぶっだ)
 梵語サムヤック・サンブッダ(samyak-saſbuddha)の音写。等正覚、正遍知と漢訳する。正しいさとりを得た者。最高至上の仏。如来十号の一。→如来

如来
 梵語タターガタ(tathāgata)の漢訳。
 真如(真理)より現れ来った者、あるいは真如をさとられた者の意で、仏のこと。
 十種の称号がある(如来の十号)。
  ①応供(おうぐ)。供養を受けるに値する者。
  ②等正覚(とうしょうがく)。平等の真理をさとった者。
  ③明行足(みょうぎょうそく)。智慧と行とが共に完全な者。
  ④善逝(ぜんぜい)。迷界をよく超え出て再び迷いに還らない者。
  ⑤世間解(せけんげ)。世間・出世間のことをすべて知る者。
  ⑥無上士(むじょうし)。最上最高の者。
  ⑦調御丈夫(じょうごじょうぶ)。衆生を調伏・制御してさとりに導く者。
  ⑧天人師(てんにんし)。神々と人間の師。
  ⑨仏。覚れる者。
  ⑩世尊。世間で最も尊い方。
 この十号は、如来を入れると十一号になる。それを合わせて十号と呼ぶ数え方に諸説がある。

【現代語訳】
釈尊はまた阿難と韋提希に仰せになった。
「この観が終わったなら、次に仏を想い描くがよい。なぜなら、仏はひろくすべての世界で人々を教え導かれる方であり、どの人の心の中にも入り満ちてくださっているからである。
このため、そなたたちが仏を想い描くとき、その心がそのまま三十二相八十随形好の仏のすがたであり、その心が仏となるということになり、そして、この心がそのまま仏なのである。
まことに智慧が海のように広く深い仏がたは、人々の心にしたがって現れてくださるのである。
だからそなたたちはひたすら阿弥陀仏に思いをかけて、はっきりと想い描くがよい。・・・

〔註〕
○三十二相八十随形好
 仏の身にそなわる32の大きな特徴と、80の微細な特徴のこと。

観無量寿経疏 法界身の説明
意、有縁に赴く時、法界に臨むことを顕さんと欲す。
「法界」といふは三義あり。
一には心遍するがゆゑに法界を解す。
二には身遍するがゆゑに法界を解す。

三には障礙なきがゆゑに法界を解す。

まさしくは心到るによるがゆゑに、身また随ひて到る。身は心に随ふがゆゑに「是法界身」といふ。
「法界」といふはこれ所化の境、すなはち衆生界なり。
「身」といふはこれ能化の身、すなはち諸仏の身なり。
「入衆生心想中」といふは、すなはち衆生念を起して諸仏を見たてまつらんと願ずるによりて、仏すなはち無礙智をもつて知り、すなはちよくかの想心のうちに入りて現じたまふ。ただもろもろの行者、もしは想念のうち、もしは夢定のうちに仏を見たてまつるは、すなはちこの義を成ずるなり。
(定善義 註釈版聖典七祖篇431頁)