2009/09/24(木)
「称名」の称も同じことです。
本来、私たち凡夫に阿弥陀仏のお力の値は分かりませんから、はかることも、ほめることもできないのです。
はかることができ、ほめることができるのは、仏だけなのです。
これを「唯仏与仏の知見」と言います。
(なお、唯仏与仏の知見は法華経に出ている言葉で、そこでは仏のみが諸法実相を知ると言われているのです。仏と仏のテレパシーという意味ではありません)
私たち凡夫が称えても、ほめることになる
「南無阿弥陀仏」
「帰命尽十方無碍光如来」
を阿弥陀仏がつくって下さり、与えて下さったのです。
それを称名念仏は簡単だから、誰でもできるからと軽く見ているのはとんでもないことです。
「称」を単に「言う」と説明されているからこうなるのではないかと思います。
念仏は一言一言が、阿弥陀仏の呼び声であり、説法なのです。
そして、自分の声を聞くのですが、聴聞になるのです。