2009/10/07(水)
利他の信楽うるひとは
願に相応するゆゑに
教と仏語にしたがへば
外の雑縁さらになし
(高僧和讃 善導讃 註釈版聖典592頁)
「願に相応する」を
「弥陀が見抜かれたとおりの、絶対助からぬ逆謗でありました」と疑いが晴れる。
と思っていたら、いつまでたっても願に相応しません。
「願に相応する」とは
「名号を聞く」ことであり、
「本願を信じ念仏申す者を往生成仏させる という弥陀の本願のとおりになる」ことです。
※御文章5帖目第5通「信心獲得」を読まれたらよろしいでしょう。
2009/10/07(水)
利他の信楽うるひとは
願に相応するゆゑに
教と仏語にしたがへば
外の雑縁さらになし
(高僧和讃 善導讃 註釈版聖典592頁)
「願に相応する」を
「弥陀が見抜かれたとおりの、絶対助からぬ逆謗でありました」と疑いが晴れる。
と思っていたら、いつまでたっても願に相応しません。
「願に相応する」とは
「名号を聞く」ことであり、
「本願を信じ念仏申す者を往生成仏させる という弥陀の本願のとおりになる」ことです。
※御文章5帖目第5通「信心獲得」を読まれたらよろしいでしょう。