2009/10/20(火)
梯 實圓和上
『他力信心聞書』の一考察
-真宗における知識帰命説の源流-
梯 實圓
この論文の書き出しを紹介します。
先日購入しました、『親鸞教学論叢 村上速水先生喜寿記念』(永田文昌堂 ISBN4‐8162-3028-9 C3015)所収の論文です。
梯師の文章は非常に分かりやすく素晴らしいと思います。
仏道において善知識が重要な意味を持っていることはいうまでもない。既に天台大師(538-597)も『小止観』のなかに、教授の善知識、同行の善知識、外護の善知識の三種善知識を挙げて詳しく述べられていた。親鸞聖人(1173-1262)も聞法における善知識(知識)の役割を極めて重要視されていることは、『化身土文類』や、『高僧和讃』等に明らかなところである。ことに、法然聖人(1133-1212)という真の知識に遇い得たことを深く喜び、法然を阿弥陀仏の化身、勢至菩薩の化身と仰いでおられた。しかし法然自身は、「十悪の法然房」「愚痴の法然房」と自謙し、親鸞に至っては愚禿と自称し、臨終の一念まで煩悩具足の凡夫でしかあり得ない身であるといい、決して戒師・人師として振る舞うことはなかった。『歎異抄』第六条や、『口伝鈔』第六条などに、「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」といわれたことはあまりにも有名である。
ところが親鸞のご在世のころから、その門弟教団の中に自らを知識と称し、有縁の念仏者を「わが弟子」として自専するものがいたようであるが、そうした風潮は親鸞滅後いよいよ激しさを加えていったようである。そうしたなかから、時宗の知識帰命説の影響もあってか、教団の指導者である知識を仏とみなして帰命の対象とし、阿弥陀仏に帰命するといっても知識をたのみ帰命することのほかにないとする知識帰命説が発生していった。こうした知識絶対主義とでもいうべき信仰形態は、必然的に、現身の仏である知識を中心とした排他的な、閉鎖的な信仰集団を作っていったのである。
〈+α〉
「なぜ私は親鸞会をやめたのか」を読んで
~本願寺と類するものの批難に答える~
(16)無条件服従について(親鸞会への大きな誤解3)より
善知識の言葉(仏説)に無条件に「ハイ」と従ったときが、弥陀の本願を聞いて助かったときです。ここが決勝点であり、ゴールです。
(中略)
求道とは、本当の仏教を説く善知識の言葉を「ハイ」と聞かせて頂くところまで進む道程です。