「21世紀の浄土真宗を考える会」ブログ(アーカイブ)

親鸞会除名後、多くの方に浄土真宗を伝え2012年7月にご往生された近藤智史氏のブログ

2024-04-10から1日間の記事一覧

安心論題講述(大江淳誠著)より 二種深信

2010/08/30(月)大江淳誠和上 善導大師が『観無量寿経』を解釈されました『四帖疏』の第四巻散善義に、『観経』の三心のうちの第二の深心の意を述べられたましたそのお釈の中に、 「二には深心」と。 「深心」といふはすなはちこれ深く信ずる心なり。 また二…

安心論題講述(大江淳誠著)より 称名報恩

2010/08/26(木)大江淳誠和上(強調は私がほどこしました)以下引用 『最要鈔』に、信心歓喜乃至一念のとき即得往生の義治定ののちの称名は仏恩報謝のためなり。さらに機のかたより往生の正行とつのるべきにあらず。とあり、『口伝鈔』には、されば平生のとき…

「三毒・五悪段」の基礎知識

2010/08/21(土) 親鸞聖人は「三毒段」に入る直前、「総誡」の一部分を『本典』「信巻」に、「横に五悪趣を截り、悪趣自然に閉ぢん。道に昇るに窮極なし云々」と引用しておられます。ところが、この文に続く「三毒・五悪段」は全く引用しないのです。思うに、…

ひっくり返っているのです

2010/02/23(火) 「法の深信」とは、「助かるに間違いなし」と阿弥陀仏の本願(法)に疑い晴れたことである。と言う人がいます。これが間違いなのです。もし、こういう言い方をどうしてもしたいのならば、「助けるに間違いなし」と書くべきなんですね。助かる…

正統か異端かと言う前に、ちゃんと原文を読んだ方がいい。

2010/02/17(水) 『歎異抄をひらく』は「永正本」をもとにしたと書かれていますが、『歎異抄をひらく』の「原文」と「永正本」にはいくつかの違いがありますので、気が付いたいくつかを指摘します。(網羅しているわけではありません)表記方法は 左側:『歎…

十方衆生とはいうものの…

2010/01/26(火) 第十八願の十方衆生と第十九願・第二十願の十方衆生は異なるということを、エントリー“生因三願の「十方衆生」についての考察”にて、述べましたが、まだ分かっていない人がおられるようですので、『真宗大辞典』(永田文昌堂)の「十方衆生」…

「君達は何もわかっていないのだ」という言葉について考える

2010/01/19(火) 「君達は何もわかっていないのだ」とよく言う人がいます。 通常こう聞くと、そう言った本人は「私はわかっている」または「私は少しはわかっている」または「私は全てわかっている」ということを暗に示しているものと受け取ります。 この場合…

御文章を拝読するにあたって

2010/01/18(月) 法友のhiromiさんや皆友さんが『蓮如の手紙』(国書刊行会 浅井成海監修)を読んでおられると聞きましたので、私も少し目を通しました。 帖内・帖外のすべての御文章を現代語訳にされたものでなかなかのものです。 ただ、読む際に気をつけな…

信仰という言葉

2010/01/18(月)稲城選恵和上興味深い論文がありましたので、ご紹介します。稲城師の強調は下線、私の強調はボールド体で示します。末尾に稲城師の説をまとめておきました。『蓮如への誤解の誤解』所収の論文 『蓮如への誤解』の問題点(稲城選恵師述) 三、…

「タノムタスケタマヘ」のまとめ

2010/01/13(水) さて、これまで「タノムタスケタマヘ」について何回かにわたって、書いてきましたが、まとめたいと思います。【タノムについて】基本:「タノム」は請求ではなく、許諾である1.蓮如上人が『御文章』等に使われている「タノム」は「お願いす…

雨だれ安心

22010/01/10(日) 『やさしい 安心論題の話』(灘本愛慈著)⑾所帰人法 より 真宗にあっては、その所帰・所信は仏体でも名号でも示されていることは、すでにうかがった通りであります。それならば、仏体を所帰とする場合の帰命には、仏の仰せを受けて、私の方…

機法一体」と「たすけたまへとたのみ」と「二河白道」との関係

2010/01/09(土) 【蓮如上人 『御文章』】〈4帖目第14通 一流安心〉一流安心の体といふ事。 南無阿弥陀仏の六字のすがたなりとしるべし。この六字を善導大師釈していはく、「言南無者即是帰命 亦是発願回向之義 言阿弥陀仏者即是其行 以斯義故必得往生」(…

たすけたまへとたのむの出処

2010/01/06(水)稲城選恵和上「タノムタスケタマヘ」について書いていますが、今日は稲城師の文を引きます。非常に大切です。『救済論序説』(稲城選恵師)より 長いのでまず前半を書きます「たすけたまへとたのむ」の用語は『御文章』にはしばしば出されてい…

タノムタスケタマヘの義

2010/01/05(火) 本派には「安心論題」というものがあり、その中に「タノム・タスケタマヘ」という論題があります。安心論題についての本は、以前紹介しましたように、『新編 安心論題綱要』(勧学寮編)『安心論題を学ぶ』(内藤知康著)『やさしい安心論題…

思案の頂上

2009/12/30(水)梅原眞隆和上「機法一体」について、御一代記聞書242条を『蓮如上人聞書新釋』(梅原眞隆著 本願寺 ISBN4-89416-438-8)から引用します。但し、原文は真宗聖典註釈版によります。思案の頂上と申すべきは、弥陀如来の五劫思惟の本願にすぎた…

御再興の上人

2009/12/26(土)梅原眞隆和上「弥陀をタノム」ということがとても大切ですので、今回はまず、御一代記聞書188条を『蓮如上人聞書新釋』(梅原眞隆著 本願寺 ISBN4-89416-438-8)から引用します。但し、原文は真宗聖典註釈版によります。聖人(親鸞)の御流…

三業惑乱と本願寺・妙好人

2009/12/24(木) 親鸞会では“江戸時代に起きた「三業惑乱」によって、西本願寺は信一念を説かなくなった”と言っておりますが、下の年表をも見ても分かりますように、そんなことはありません。 もちろん、三業惑乱が真宗学に及ぼした影響は甚大ですが、それに…

人生の目的・多生の目的

2009/12/24(木) 親鸞会では「人生の目的」という言葉をよく使います。使ってはいけないということではないですが、使い方がおかしいと思います。 親鸞会では「何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか、なぜ生きねばならないのか」と説明しま…

方便といふこと 6

2009/12/24(木)梯 實圓和上 方便についてもう一度考えてみましょう。『聖典セミナー 教行信証[教行の巻]』(梯 實圓著)380頁の【語註】から引用します。 方便とは、梵語ウパーヤupāyaの訳語で、「近づいていく」という意味の言葉であるが、教義的には如…

浄土三部経と三願

2009/12/18(金)稲城選恵和上第十八願、第十九願、第二十願を「生因三願」といいます。親鸞会では、この三願を1セットのものと考え、三願転入の文とあわせ、「善をしなければ、信仰は進みませんよ」と言っています。 参照:教学聖典⑺ (22)~(26)しかし、親鸞…

『本願寺 なぜ 答えぬ』を読んで④ 七つの質問に代わりに勝手に答える⑦

2009/12/15(火)なぜ答えぬを読む第七問「本願を信受すれば、往生浄土できるし、信受しなければ、地獄に堕ちることは、自明である」(回答書ⒷP・四三)だが、地獄に堕ちることを一大事という親鸞会は間違いだ、といわれる。それでは、本願を信受せず、信心獲…

『本願寺 なぜ 答えぬ』を読んで④ 七つの質問に代わりに勝手に答える⑥

2009/12/15(火)なぜ答えぬを読む第六問「高森親鸞会は、宿善として、自力諸善を積むように勧めているが、当流では、他力の信心を獲るために、まず、自力諸善を積まねばならない、などという説示はない」(回答書ⒶP・一四二)「『破邪顕正や財施を修すること…

『本願寺 なぜ 答えぬ』を読んで④ 七つの質問に代わりに勝手に答える⑤

2009/12/15(火)なぜ答えぬを読む第五問「宿善はあくまで、他力になさしめられるものならば、なぜ、聴聞(聞法)に、はげまねばならないのか。教えすすめねばならないのか。と、かねて、おたずねしているのに、「つまりは、他力をよろこばれた、お心が理解で…

『本願寺 なぜ 答えぬ』を読んで④ 七つの質問に代わりに勝手に答える④

2009/12/15(火)なぜ答えぬを読む第四問「私は宿善の厚薄を認めない、などといっているのではない」(回答書ⒷP・二三)と、宿善の厚い人と薄い人のあることを認めてあります。薄い宿善が厚くなり、宿善開発するのですが、宿善の薄いものは、この世で、どんな…

『本願寺 なぜ 答えぬ』を読んで④ 七つの質問に代わりに勝手に答える③

2009/12/15(火)なぜ答えぬを読む第三問「正しい意味の破邪顕正や財施が諸善万行の中に、はいることは、いうまでもない。しかし、自らの主張だけを正しいものとし、他派の法座や法要の妨害をするようなことを破邪顕正と考え、そのような集団に献金することを…

『本願寺 なぜ 答えぬ』を読んで④ 七つの質問に代わりに勝手に答える②

2009/12/15(火)なぜ答えぬを読む第二問「私は聞法を否定するなどとは一言も書いてはいない。破邪顕正や財施(高森親鸞会への献金、会費)等が、獲信のための宿善となるのだから、これを修せねばならぬとする主張に疑義を呈したのである」(回答書ⒷP・三一)…

『本願寺 なぜ 答えぬ』を読んで④ 七つの質問に代わりに勝手に答える①

2009/12/15(火)なぜ答えぬを読む『本願寺 なぜ 答えぬ』の本文についての言及はこれまでとします。なぜかといいますと、・三願転入、第19願の意味・方便の意味・宿善の意味など、これまで述べてきましたので、それらを読んで頂ければ分かることだからです。…

蓮如上人の精神

2009/12/15(火)稲城選恵和上『如来をきく』稲城選恵師の話より 蓮如さんはね、もう徹頭徹尾けんかは嫌ったんです。ですから、もし蓮如上人がおいでになっていたら、石山戦争は絶対無かったそうです。賢い方ですからね。これは京都大学の赤松という先生がね、…

愚者になりて往生す

2009/12/12(土) 法然聖人が一枚起請文を書かれたのは亡くなる2日前です。いつもこのように仰っていたのでしょうね。法然聖人の日頃のお言葉を、50年後に、しみじみとまるで目の前に法然聖人がおられるかのように語られる親鸞聖人もまた素晴らしい。「浄土…

『本願寺 なぜ 答えぬ』を読んで③(既出問題)

2009/12/11(金)なぜ答えぬを読む今回は既出問題ですが、(三)第二の非難──諸善は、獲信の因縁ならず──の一文を取り上げます。(93頁) 宿善の厚い頓機は、はやく救われる(信心獲得)からよかろうが、宿善の薄き漸機は、どうすればよいのか。 これこそが…