「21世紀の浄土真宗を考える会」ブログ(アーカイブ)

親鸞会除名後、多くの方に浄土真宗を伝え2012年7月にご往生された近藤智史氏のブログ

「三毒・五悪段」の基礎知識

2010/08/21(土)


 親鸞聖人は「三毒段」に入る直前、「総誡」の一部分を『本典』「信巻」に、「横に五悪趣を截り、悪趣自然に閉ぢん。道に昇るに窮極なし云々」と引用しておられます。ところが、この文に続く「三毒五悪段」は全く引用しないのです。思うに、聖人にとって「三毒五悪段」は、中国の儒教的な考え方から仏教の業論を見ており、また人間をとらえるのに、倫理的に人間悪の面で見ているため、それでは不充分だと考えられたのかもしれません。また、宗祖は梵本をお読みになったということはありません。それでも不審に思われたのでしょうか。あまりにも儒教的な要素があるというお考えの上から、ほとんど「三毒五悪段」を引用なさらなかったのではないでしょうか。そういうご見識を我々は知らされることであります。

     『大無量寿経の現代的意義』(早島鏡正著 pp148-149)より

〔補足1〕
 上記の「ほとんど」ということの意味
 広義の「三毒五悪段」から『教行証文類』に親鸞聖人が引いておられるのは2文です。
1.「かならず超絶して去つることを得て、安養国に往生して、横に五悪趣を截り、悪趣自然に閉ぢん。道に昇るに窮極なし。 往き易くして人なし。その国逆違せず、自然の牽くところなり」(総誡の文)
2.「それ至心ありて安楽国に生ぜんと願ずれば、智慧あきらかに達し、功徳殊勝なることを得べし」(狭義の三毒段が終わった後に、釈尊弥勒菩薩・諸天人等に往生浄土をすすめておられる文)

 しかし、「三毒(貪欲・瞋恚・愚痴)の文」「五悪の文」からは引いておられません。

〔補足2〕
 無量寿経下巻の「釈迦勧誡(釈迦指勧分)」は大きく分けると、三毒五悪段(悲化段)と胎化段(智慧段)となります。
 この内「悲化段」は、現存する漢訳5本、サンスクリット本1本、チベット訳1本の7種類の無量寿経中、初期無量寿経(二十四願経)の「大阿弥陀経」「平等覚経」2本と「無量寿経大無量寿経)」の3本で、無量寿如来会などその他の後期無量寿経四十八願経)にはありません。また、その他のサンスクリットの断片にもありません。
 一方「胎化段」にあたる文ははすべての無量寿経にあります。
 無量寿経で大事なのは「四十八願」「念仏往生(成就文)」であることは当然ですが、「胎化段」も非常に重要なところです。

〔参照〕
 註釈版聖典第二版「補註5」を読んで下さい。