2009/12/24(木)
梯 實圓和上
方便についてもう一度考えてみましょう。
『聖典セミナー 教行信証[教行の巻]』(梯 實圓著)380頁の【語註】から引用します。
方便とは、梵語ウパーヤupāyaの訳語で、「近づいていく」という意味の言葉であるが、教義的には如来が真実の大悲をおこして衆生に近づき、巧みな方法を講じて救済していくことを善巧方便という。それにひきかえ、真実の教えをただちに受け容れることのできない未熟なものを育て、真実へと誘い引く(調機誘引)ために、その理解能力に合わせて程度を下げて説かれた教えを権仮方便という。それは暫く用いるが、真実の教えを受け容れるところまで理解能力が育てば、捨てて、真実の教えを与えていくから、暫用還廃(暫く用いるが還って廃する)の教法と呼んでいる。
今までも述べたように、方便には「善巧方便」と「権仮方便」とがありますが、この2つは「方便」の意味が違うのです。
ウパーヤには「近づく」「到達する」という意味があります。どこに近づくのかというと、「さとり」に近づくというのが本来の意味です。
私→→→→→さとり
ということです。
しかし、善巧方便の場合の「近づく」というのはそうではなくて
阿弥陀仏→→→→→私
なのです。
権仮方便は
私→→(権仮方便①を使う)
→→(権仮方便②を使う)
→→(権仮方便③を使う)→→真実
という図式になります。(「使う」の主語は仏、知識)
善巧方便と権仮方便との区別が混乱している人は、このように考えてはどうでしょうか。