「21世紀の浄土真宗を考える会」ブログ(アーカイブ)

親鸞会除名後、多くの方に浄土真宗を伝え2012年7月にご往生された近藤智史氏のブログ

『本願寺 なぜ 答えぬ』を読んで④ 七つの質問に代わりに勝手に答える⑦

2009/12/15(火)

なぜ答えぬを読む

第七問

「本願を信受すれば、往生浄土できるし、信受しなければ、地獄に堕ちることは、自明である」(回答書ⒷP・四三)
だが、地獄に堕ちることを一大事という親鸞会は間違いだ、といわれる。
それでは、本願を信受せず、信心獲得していない者が地獄に堕ちることは、一大事ではないのか。一大事とは、いえないことなのか。
『領解文』の、「われらが今度の一大事の後生、おん助け候へ………」の一大事も、「地獄に堕ちること」といったら、間違いなのか。
おたずねいたします。
要約
⑫地獄に堕ちることは、一大事ではないのか。
⑬一大事とは、いえないことか。
⑭領解文の「一大事」も、地獄に堕ちることといったら、間違いか。


【答え】
この問題については解決済みだと思いますので、省略します。
ただ、
⑭「領解文の「一大事」も、地獄に堕ちることといったら、間違いか。
という問いに対しては、お答えしますと、
「間違い」です。
これは蓮如上人が「御たすけ候へとたのみまうして候ふ」と仰っている意味が分からないと混乱します。
浄土真宗においては「御たすけ候へ」と「たのみ」は同じ意味です。
世間的な「助けて下さい」という請求の意味ではありません。