「21世紀の浄土真宗を考える会」ブログ(アーカイブ)

親鸞会除名後、多くの方に浄土真宗を伝え2012年7月にご往生された近藤智史氏のブログ

『本願寺 なぜ 答えぬ』を読んで④ 七つの質問に代わりに勝手に答える④

2009/12/15(火)

なぜ答えぬを読む

第四問

「私は宿善の厚薄を認めない、などといっているのではない」(回答書ⒷP・二三)
と、宿善の厚い人と薄い人のあることを認めてあります。薄い宿善が厚くなり、宿善開発するのですが、宿善の薄いものは、この世で、どんなにしても厚くなれないのか。
聞法をすすめることと、宿善開発とは、無関係なのか。
おたずねいたします。
要約
⑦この世で、宿善は厚くなれないのか。
⑧聞法をすすめることと、宿善開発は、関係ないのか。


【答え】
⑦この世で、宿善は厚くなれないのか。

宿善の厚薄があるということと、宿善が薄かったのが厚くなるということとは違います。
上の文章の中の「薄い宿善が厚くなり、宿善開発するのですが、」の部分が間違いです。
この質問も意味が無い質問です。
「この世で獲信できないのか」
という質問ならば意味があります。
(答えは当然「できます」です)

⑧聞法をすすめることと、宿善開発は、関係ないのか。

「私の」聞法によって救われるのではありません。
阿弥陀仏の独用です。
阿弥陀仏の仰せが聞こえて下されたのが「信心」です。
こういうと、必ず「関係ないのか、あるのか。イエスかノーで答えて下さい」というのが常套手段なので、あえて、それに合わせて答えますと「関係ありません」
聞法は、信前も信後も大切です。
どちらとか言うと、信後の方が大切です。