「21世紀の浄土真宗を考える会」ブログ(アーカイブ)

親鸞会除名後、多くの方に浄土真宗を伝え2012年7月にご往生された近藤智史氏のブログ

顕正新聞を読んで④ その3

2009/11/01(日)


 親鸞聖人のみ教えは「捨自帰他」(自力を捨てて他力に帰せよ)以外にない。「自力を捨てよ、捨てようとする心も自力だから捨てよ」と徹底して厳しいのは、自力を捨てなければ、阿弥陀仏の本願力(他力)に帰することは絶対不可能だからである。


この文章は一読すると正しいように思う人もいるかもしれませんが、正しくありません。
自力を捨てなければ、阿弥陀仏の本願力(他力)に帰することは絶対不可能だからである。”(A)
の部分が問題です。
これですと
1.自力を捨てることが、他力に帰することの「手段」である
2.自力を捨てることが、他力に帰することの「条件」である
3.まず自力を捨てて、それから他力に帰する。(前後があるという意味です)
などの誤解を生じます。
「いや、そうではない。捨自と帰他は同時であるといつも言っている」
と反論するならば、上の部分は、
阿弥陀仏の本願力(他力)に帰さなければ、自力を捨てることは絶対不可能だからである。”(A’)
と言い換えてもいいはずですが、これだとおかしいですよね。
ということはAもA’もおかしいのです。
捨自と帰他は真実信心の相であり、別々のことではありません。
もちろん、信楽開発の初起の一念はあります。
しかし、捨自と帰他とは前後があるのではありません。
大事なところです。

余談ですが、「以外にない」「絶対」などの言葉がよく使われますが、そんなに力まなくてもよろしいかと思います。