「21世紀の浄土真宗を考える会」ブログ(アーカイブ)

親鸞会除名後、多くの方に浄土真宗を伝え2012年7月にご往生された近藤智史氏のブログ

顕真を読んで

2009/11/04(水)

親鸞会発行の顕真では、「比較対照 これまでの解説書とどこが違うのか」『歎異抄をひらく』と銘うって、他の解説書と比較しています。
例えば平成21年10月号では
 第3回 「急ぎ仏になりて」は、死に急がせているのか
と題して、数冊の解説書と比較しています。
比較しているのは、
 ・『初めての歎異抄』 山崎龍明著
 ・『歎異抄 全購読』 安良岡康作著
 ・『歎異抄 その批判的考察』 石田瑞麿
 ・『歎異抄論註』 佐藤正英著
の4冊で、「急ぎ仏になりて」の解釈の比較に5頁を割いています。
他、顕正新聞でもこの部分の解釈の違いにかなりの紙面を割いていました。

このうち、「急ぎ仏になりて」を死に急がせていると書いているのは石田瑞麿氏の本のみです。

顕真の記事の作者は上記4冊だけが歎異抄の解説書だと思っているということはないでしょうが、あたかも『歎異抄をひらく』が古今楷定の解釈をしているかのような(ある意味そうなのですが)、記述をしているのはいかがかなものかと思います。

この「急ぎ仏になりて」に限定していえば、
『講座 歎異抄』(中西智海 永田文昌堂)の説明では、

(念仏して)ただちに仏に成って。「いそぎ」は即刻、ただちに意。何よりも急がねばならないことはひとりひとりが本願を信じ、念仏申す身となることである。「急いで死んで」という意味ではない。

とあります。
これは2001年6月20日発刊で、発刊当時、著者の中西智海師は西本願寺司教でした。今は勧学です。
(ちなみに『歎異抄をひらく』の発刊は2008年3月3日です)

なお、佐藤正英氏の解釈を
 「念仏」と「諸善」を比較して言われたのだという珍解釈
と批判していますが、これは別に珍解釈ではなく、「竪超」「竪出」「横出」などの自力の教えに対して、「横超」の意味を表すということで、解釈としては正当なものだと思います。