「21世紀の浄土真宗を考える会」ブログ(アーカイブ)

親鸞会除名後、多くの方に浄土真宗を伝え2012年7月にご往生された近藤智史氏のブログ

『本願寺 なぜ 答えぬ』を読んで②

2009/12/11(金)

なぜ答えぬを読む

今日は
(三)第二の非難──諸善は、獲信の因縁ならず──
の一文を取り上げます。(86-87頁)

その際、過去のエントリーの宿善について述べてある箇所を読んで頂いた方が、理解しやすいと思いますので、下に一覧であげておきました。

 宿世の善根を、大きく分けると、宿因と、宿縁になる。
宿因とは、過去にやった諸善万行をいい、宿縁は、阿弥陀仏のご念力で結ばさ
せられた、仏縁をいう。
 親鸞聖人が、
「遇行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」(教行信証
 と、感泣され、蓮如上人は、
「『宿善めでたし』と言うはわろし。御一流には『宿善有り難し』と申すがよ
く候」(御一代記聞書)
と、仰せになっている、ものである。
 道綽禅師は、『安楽集』に、
「三恒値仏の因縁」
を、説いて、
“三恒河沙の諸仏の、出世のみもとにあって、仏縁を結んだ者でなければ、こ
の法に、あえないのだ”
と、仰せになっている。
 以上で、判明するように、過去に仏縁あって、聞法や、諸善を積んできた人
を、宿善ある人といい、そうでない人を、無宿善というのである。
 されば、宿善ある人といっても、各自、過去の業縁まちまちであるから、宿
善は、一定ではありえない、ことは、明らかだ。


「以上で、判明するように」とありますが、何も判明していませんし、「明らかだ」とありますが、何も明らかではありません。

 少しずつ見ます。

○宿世の善根を、大きく分けると、宿因と、宿縁になる。
 浄土真宗ではこのように言われません。
 親鸞聖人は「宿善」「宿因」という言葉は、あれほど多くの著書の中に一つも使っておられません。「宿縁」の言葉だけです。
 辞書を引けば、「宿善」「宿因」「宿縁」のそれぞれに説明がありますが、基本的にはこの「宿善」「宿因」「宿縁」は同じ意味です。
〈参照〉
あるいはこの位を、すなはち真実信心の行人とも、宿因深厚の行者とも、平生業成の人ともいふべし。されば弥陀に帰命すといふも、信心獲得すといふも、宿善にあらずといふことなし。
 しかれば念仏往生の根機は、宿因のもよほしにあらずは、われら今度の報土往生は不可なりとみえたり。このこころを聖人の御ことばには「遇獲信心遠慶宿縁」(文類聚鈔)と仰せられたり。これによりて当流のこころは、人を勧化せんとおもふとも、宿善・無宿善のふたつを分別せずはいたづらごとなるべし。
(御文章4帖目第1通 註釈版聖典1162-1163頁

○宿因とは、過去にやった諸善万行をいい、宿縁は、阿弥陀仏のご念力で結ばさせられた、仏縁をいう。
 上に述べましたように、獲得し顧みるときは、諸善万行といっても阿弥陀仏のご念力によるものと見ますので、同じことです。

○以下、
教行信証』(親鸞聖人)
『御一代記聞書』(蓮如上人)
『安楽集』(道綽禅師)
の3つのご文があげられています。

「遇行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」は、阿弥陀仏のご念力によるものという意味で、私も言うことはありませんが、直前の文章とのつながりははっきりしません。
『御一代記聞書』の言葉は、過去のエントリーで説明しましたので、そこを見たいただければ分かりますが、ここでは何の説明もされていません。
ただ「宿善」という言葉があったので使っただけで、親鸞聖人の言葉同様、前の文章とのつながりは全くないと思います。
『安楽集』の言葉は、親鸞聖人が「宿縁」と言われ、蓮如上人が「宿善有り難し」と言われたものとは違います。

上に

「以上で、判明するように」とありますが、何も判明していませんし、「明らかだ」とありますが、何も明らかではありません。

と述べたのも、意味の微妙に異なる3つの文を並べているだけだからです。
親鸞聖人が「遠く宿縁を慶べ」と言われたのと、蓮如上人が「宿善有り難し」と言われたのは同じです)

【宿善に関する過去のエントリー】
「宿善といふこと」
歎異抄 現代語版』(本願寺)の巻末註「奥書の無宿善の機=仏の教えを聞く機縁が熟していないもの」の説明文

「宿善といふこと 2」
 蓮如上人仰せられ候ふ。宿善めでたしといふはわろし。御一流には宿善ありがたしと申すがよく候ふよし仰せられ候ふ。
(御一代記聞書233条 註釈版聖典1307-1308頁)
について

「宿善といふこと 3」
 他宗には法にあひたるを宿縁といふ。当流には信をとることを宿善といふ。信心をうること肝要なり。さればこの御をしへには群機をもらさぬゆゑに、弥陀の教をば弘教ともいふなり。
(御一代記聞書234条 註釈版聖典1308頁)
について

「宿善といふこと 4」
親鸞の世界 -信の領解-』(加茂仰順師)より

「宿善の厚薄 唯信鈔の言葉」
宿善のあつきものは今生にも善根を修し悪業をおそる、宿善すくなきものは今生に悪業をこのみ善根をつくらず。
について

「宿業 宿善 因果の道理」
「季刊せいてん」№50(2000 春の号)口伝鈔/善悪二業(口伝鈔第四章)より(梯實圓師の文)