「21世紀の浄土真宗を考える会」ブログ(アーカイブ)

親鸞会除名後、多くの方に浄土真宗を伝え2012年7月にご往生された近藤智史氏のブログ

歎異抄第2章を読む その2の補足と寄り道

2009/08/04(火)
昨日は歎異抄第2章の前半と、それに関連して、元久の法難・承元(建永)の法難について若干言及しました。
浄土真宗では「承元の法難」と言い、浄土宗では「建永の法難」と言います。

最近、法然上人行状絵図岩波文庫 上・下、日本公論社版「続日本の絵巻」1~3)を買って、読みました。
法然上人行状絵図」は「四十八巻伝」とか「勅修御伝」とも呼ばれている、法然上人の伝記(絵詞伝)です。
岩波文庫の「解説」によると、南都北嶺による専修念仏弾圧関連は第31、33~35に書かれてあり、法語は第19~24と第32に収めてあります。

法然上人に流刑の判決が出たのは、建永2年(1207年)2月28日でした。
(私にとっては覚えやすい日です)
実際に四国へ向けて発たれたのは3月16日のことでした。
西阿とのやりとりは第33に書かれています。
(西阿は叱られてはいますが、破門にはなっていません)

せっかく本を買いましたので、まずは、ざっと目を通しました。
法語が書かれている第32には、次の文があります。
この文は、「拾遺黒谷上人語燈録(厭欣沙門了惠集録)巻中 登山状 第一」にも出ています。

しかればある文には、「一人一日の中に八億四千の念あり、念念の中の所作皆是れ三途の業なり(一人一日中、八億四千念、念念中所作、皆是三途業)」といへり。

ここで「ある文」とは、「浄土菩薩経」と言われています。
浄土菩薩経は、浄土三昧経とか浄度三昧経とも言われています。
昭玄沙門統曇曜の訳とされていますが、北魏時代に撰述された偽経であることが分かっています。
曇曜とはどんな人か関心のある人はWikipediaにも記事がありますのでどうぞご覧下さい。
もっとも、「偽経」といっても、「ニセモノ」「間違い」ということではありません。
道綽禅師や善導大師も引用しておられます。(安楽集と観念法門)
Wikipediaの「偽経」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E7%B5%8C)を参照して下さい。
ちなみに、↑に書かれていますように、「父母恩重経」や「盂蘭盆経」なども偽経です。

よく知った御文を読むと「ああ、ここに書かれていたのか」と少しばかり感動しますね。

国語力が落ちているので(落ちているということは、前はあったのか!と突っ込まないで下さい)、リハビリをしています。

はるか昔の高校時代に使っていた参考書は
・現代国語 「現代文解釈の基礎」「現代文解釈の方法」(遠藤嘉基、渡辺 実共著、中央図書)
・古文   「古文研究法」(小西甚一著 洛陽社)
・漢文   「漢文研究法」(小林信明著 洛陽社)
でした。
今どきの高校生・受験生はこんな参考書は使わないでしょうね。
捨ててはいないはずなので、どこかにあるかもしれませんが、探す時間がありません。
だいたい、どこにあるかも分からないのです。

国語力を身につけようと、懐かしさも手伝って、上の中で現代国語の参考書だけは買いなおし、ついでに「思考訓練の場としての 現代国語」(棟 明朗著 育文社)も買って読み始めました。
大学受験参考書だけあって難しいです。
それにカバーの写真が「東京大学赤門」とは!
(ちょっとこれはどうかねぇと思います)
私とは関係ございませんが、それはそれで、高校時代にタイムスリップした感じでした。

ちょっと話が変わります。

先日岩波の古語辞典を買ったと書きましたが、1冊だけでは頼りないので、もう1冊買いました。
三省堂の「全訳読解 古語辞典」です。(これも推奨しているわけではありません)
早速「ふつと」を調べてみました。
「ふつと」って何だぁ?という人もおられるかもしれませんが、浄土真宗の人ならば、一度ならず、聞いたことがある言葉のはずです。

蓮如上人の御文章5帖目第2通  八万の法蔵
 それ、八万の法蔵をしるといふとも、後世をしらざる人を愚者とす。たとひ一文不知の尼入道なりといふとも、後世をしるを智者とすといへり。しかれば当流のこころは、あながちにもろもろの聖教をよみ、ものをしりたりといふとも、一念の信心のいはれをしらざる人は、いたづらごとなりとしるべし。されば聖人(親鸞)の御ことばにも、「一切の男女たらん身は、弥陀の本願を信ぜずしては、ふつとたすかるといふことあるべからず」と仰せられたり。(以下略)

三省堂の辞典によると、
ふつ‐に[副]
 (下に打消の言葉を伴って)全然。少しも。

岩波の辞典によると、
ふつと〖副〗
①完全に。
②《打消と呼応して》全然。


と書かれてありました。
これで、御文章の意味はお分かりになりますよね。
どこの誰とは言いませんが、訂正したならば、どこをどう訂正したのかを教えるのが「親切=布施?」というものではないでしょうか。
大事な御文なのですから。