「21世紀の浄土真宗を考える会」ブログ(アーカイブ)

親鸞会除名後、多くの方に浄土真宗を伝え2012年7月にご往生された近藤智史氏のブログ

ちょっと疑問に思っていたこと 三願について

2009/08/23(日)

それほど大切なことではないかもしれませんが、もしかしたら重要なことかもしれません。
(皆さんはどう思われるでしょうか?)

「第18・19・20願の三願は十方衆生が相手の本願だから、衆生摂生の願』と言われる。」
と言う人がおられますので、そういう言葉は本当に「浄土真宗」にあるのだろうかと思って調べました。
下に辞書やウィキペディアなどからの資料を書きますが、どうやら浄影寺慧遠の言葉からの造語のようです。
正しければ造語でもいいのでしょうが、「衆生を摂め取る」願という意味でしたら、善導大師以後の浄土門の知識方は四十八願全部を指しておられると思います。
もし詳しいことをご存知の方は教えて頂きたいと思います。

いろいろある「三願」 [主に『真宗新辞典』(法蔵館)から]
1.往生の因を誓う三願・生因三願ー第18・19・20願
   第18願は信心を正因とすることを誓い、
   第19願は自力の菩提心と諸善万行を、
   第20願は自力の称名念仏をそれぞれ因とすることを誓う。
   第18願は真実、第19・20願は方便の願。
   このことから「真仮三願」「要真弘三願」とも言います。
   普通は、生因三願真仮三願でしょう。

  なお、この第18・19・20願を
  浄影寺の慧遠(523年ー592年)は「摂他国衆生の願」とし
  憬興(新羅法相宗の僧 7世紀後半)はこの三願は順次に上品、中品、下品を摂するとし(『無量寿経連義述文賛』)
  玄一はそれぞれ上三品、中三品、下三品の願生に配し(『無量寿経記』)
  法然上人は・・・と書いてあります。

 さらに参考までにウィキペディアより浄影寺の慧遠・憬興による分類
 中国の慧遠と憬興は3つに分類している。其々の名と分類は以下の通り。
①摂法身願・求仏身願 仏が自らの仏身を完成すること…第十二願・第十三願・第十七願
②摂浄土願・求仏土願 衆生を往生せしめる仏土の完成…第三十一願・第三十二願
衆生・利衆生願 正しく衆生の救済を願うもの…その他の43願

 また、明教院僧鎔師は四十八願を「国土功徳願」「仏功徳願」「菩薩功徳願」に分類していますが、今日は省略します。

2.四法三願ー第11・17・18願(下記、取願立法を参照)
3.すべての者を引摂する弥陀の大悲をあらわす。(『経釈要文』)ー第11・18・19願
4.的取三願ー第11・18・22願
   第18・11・22の三願を的(ただ)しくあげて
   衆生往生の因果が弥陀の願力によることを証明する。
   (三願的証 曇鸞大師 浄土論註)

[さらに参考]
利井鮮妙師の『宗要論題決擇編』 利井常見寺HPより
(一部 数字の表記を変更)
【取願立法】中
第三に三願立法の例、此の中三類あり。
 一に因果悲用の格『行巻』(追釈)
  ①18願 ─── 一因
  ②11願 ─── 一果
  ③22願 ─── 悲用

 二に能所信証果の格、『本典』の三願四法を一部大綱とし及び『正信偈』の「本願名号」等の三句
  ①17願 ─ 所信 ┬ 教行
             └ 不二
  ②18願 ─ 能信
  ③11願 ─ 証果

 三に三願一法の格『末灯鈔』
  ①17願 ┐
  ②12願 ┼ 信心仏性之一法
  ③13願 ┘

【三願真仮】中
問、一仏の誓願に真仮の二種あること未審し、已に設我得仏と願じ、欲生我国と命じ、不取正覚と誓ふことは、三願皆同じ、爾れば得仏、我国にも真仮の二途ありとせんや、いかん。
ー乃至ー
問、三願に真仮を弁立したまへる相承ありや。
答、終南大師に微意あり(『観念法門』摂生縁に三願を引証し、『法事讃』に三往生を明す)、吉水に至つて分明なり(先に出せる『漢』、『和』両灯これなり)、委しくは下に在り。

引用は以上です。

なお、「『観念法門』摂生縁に三願を引証し・・・」とあるのは、第18・19・20願のことですが、これが「衆生摂生の願」の根拠と考えるのは難しいと思います。
観念法門の摂生増上縁の説明のところに善導大師が引用しておられるのは、第18・19・20・35願の4願ですので、上の鮮妙師の説明はあくまでも「三願真仮」の相承の説明と思います。