「21世紀の浄土真宗を考える会」ブログ(アーカイブ)

親鸞会除名後、多くの方に浄土真宗を伝え2012年7月にご往生された近藤智史氏のブログ

宿善といふこと 3

2009/09/22(火)

梅原眞隆和上

宿善に関して、もう一つ蓮如上人御一代記聞書の言葉を出しましす。
引用:蓮如上人聞書新釋(梅原眞隆著 本願寺 ISBN4-89416-438-8)
但し、原文は真宗聖典註釈版によります。

(234)
 他宗には法にあひたるを宿縁といふ。当流には信をとることを宿善といふ。信心をうること肝要なり。さればこの御をしへには群機をもらさぬゆゑに、弥陀の教をば弘教ともいふなり。
(註釈版聖典 1308頁)

【意訳】
 他宗では法に遇うことは宿世の縁によるというているが、真宗では単に法に遇うというだけでなく、この法をいただいて信心を得ることを、仏の光明に培われて宿善開発するというのである。宿縁というも宿善というも信心を獲得することに結びついて始めて意味をもつのである。そこで、この真実の教法では善人も悪人も、聖者も凡夫も、あらゆる機類をもらさないで悉く信心を獲得させるように、仏の光明によって宿善を開発せしめてくださるところから、弘教すなわち広弘の救いを説く教えともいうのである。

【解説】
 この一条は宿縁と宿善とを区別したのでない。これは同じ意味に使われてある。ここでは他宗と真宗との宿縁即ち原因の味わい方の浅深を識別されたのである。「他宗には法にあひたるを宿縁といふ」は浅い味わい方をのべ、当流には「信をとることを宿善といふ」は深い味わい方をのべられたのである。
 さらに、真宗の広弘の救いは仏力が宿善を培うことまでを包含していることを示して、「群機」のすべてに信心を開発せしむる根底には、宿善を順熟せしめる仏の光明のおはたらきをさとされたのである。

【私の補足】
・以上のように、宿善の説明(味わいの表現方法)も文脈によって異なることがあります。
・基本的に真宗で宿善という言葉が使われる場合は、2つあると思います。
 ①聞法心の意味
   つまり、「宿善がある」とは仏法を聞く気持ちがあるということ。
 ②信心獲得までを含めた阿弥陀仏のはたらきの意味
  (こちらが真宗における本来の意味)
   つまり、「宿善がある」とは信心獲得したということ。
・対機として、他宗が使うような浅い味わいで書かれる場合もあるかもしれませんが、それでも阿弥陀仏のはたらきであることを抜かすと間違いとなります。
・本来の意味では、宿善があるとかないとか、厚いとか薄いとか、我々に分かるものでありません。