2009/10/05(月)
蓮如上人御一代記聞書2より
【原文】
あさの御つとめに、「いつつの不思議をとくなかに」(高僧和讃・三三)より「尽十方の無礙光は 無明のやみをてらしつつ 一念歓喜するひとを かな らず滅度にいたらしむ」(高僧和讃・三八)と候ふ段のこころを御法談のとき、「光明遍照十方世界」(観経)の文のこころと、また「月かげのいたらぬさとはなけれども ながむるひとのこころにぞすむ」とある歌をひきよせ御法談候ふ。なかなかありがたさ申すばかりなく候ふ。上様(蓮如)御立ちの御あとにて、北殿様(実如)の仰せに、夜前の御法談、今夜の御法談とをひきあはせて仰せ候ふ、ありがたさありがたさ是非におよばずと御掟候ひて、御落涙の御こと、かぎりなき御ことに候ふ。
(註釈版聖典 1231頁)
【現代語訳】(浄土真宗聖典 現代語版より)
朝の勤行で、『高僧和讃』の「いつつの不思議をとくなかに」から「尽十方の無碍光は 無明のやみをてらしつつ 一念歓喜するひとを かならず滅度にいたらしむ」までの六首をおつとめになり、その夜、蓮如上人はこれらのご和讃のこころについてご法話をされたとき、『観無量寿経』の「光明はひろくすべての世界を照らす」という文と、法然上人の
月かげのいたらぬさとはなけれども
ながむるひとのこころにぞすむ
月の光の届かないところは一つとしてないが、
月はながめる人の心にこそやどる
という歌とを引きあわせてお話になりました。そのありがたさはとても言葉に表すことができません。蓮如上人が退出された後で、実如上人は、前夜のご法話と今夜のご法話とを重ねあわせてお味わいになり、「まったくいいようのないありがたいご法話であった」と仰せになり、上人の目からはとめどなく涙があふれ出たのでした。
【補足】
足元の自分の影ばかり見ている人がいますが、月を眺めましょう。
かみしめたいと思います。