「21世紀の浄土真宗を考える会」ブログ(アーカイブ)

親鸞会除名後、多くの方に浄土真宗を伝え2012年7月にご往生された近藤智史氏のブログ

不可解な言葉に関する考察 その2「光に向かって」

2009/10/15(木)

次に不可解な言葉が「光に向かって」です。
この言葉を最初に言った人は知りませんが、有名な話は大沼法龍師(1895-1976)のお母さんが大沼師によく言っていたということです。
大沼師の著作にはよく出てきます。
2つほど例をあげます。(文字は原文のまま、強調は私によるものです)

『法界』(大沼法龍著)382頁 39、最第一の幸福者 より(書き出しの文章です)
 信仰に生きる者は永遠に輝き、名利を遂げんとする者は不幸に悩む。精神的の満足をする者は末代を照らし、物慾を追う者は混乱に陥る。
 光りに向いて進む者は栄え、闇に向いて走る者は亡ぶ。天道自然にして侵す者を赦さず、因果の道理程正しい者はないと口癖のように母から教えられたことは尊い教訓である。

『慈訓』(大沼法龍著)97-98頁 第五節 徳は元 より(後半の一部です)
 光りに向いて進み、自分の努力の足りないことを反省しつつ自分の使命を果たさしていただいていますから、それに応ずる報償を頂いて、ありがたい、勿体ないの生活をさしていただいていますから、生死の苦海も光明の広海と変わり、美しい部屋に居住さしていただいておれば、温泉の一等旅館にいるよりも気兼ねもなく居心地がよくて、・・・
(中略)
あなたが足りないと思うから足りないので、あなたよりまだまだ底辺の人は多いのですよ。心の向きを変えて、光りの方に向きなさい、光りに背中を向けて闇に向いて進めば、影法師には追いつけません。感謝の光りに向いて進めば、物質の影法師はいつでも追いついて来るのです。人間は信仰がなければ暗闇です。果報は心が描き出すのですから、心の病気から療治いたしましょうや。“徳は元、財は末なり徳積めば、金は自由になるものと知れ”、本当に金は自由になります、余るほど恵まれて来ます、慈善事業や難民救済や、社会事業に後援させていただきましょう。自分が贅沢をする財産でしたら、すぐに行き詰まってどん底に陥って、塗炭の苦しみを嘗めなければなりませんよ。

さて、「光に向かって」とはどういう意味なのでしょうか。
親鸞会では
1.信心獲得めざして、第18願の世界に向かって
2.阿弥陀仏に向かって(1の意味も含まれますが、こっちの方が広い意味です)
3.修善を心がけて
などの意味に使われているようですが、一方「光に向かって進みましょう」は「さようなら」「またね」と同じような定型の挨拶となっている感じもします。
大沼師の文章を読むと1の意味ではないでしょう。2の意味は少しあるかもしれませんが、どちらかというと3の意味ですね。
もう少し丁寧に言うと、
浄土真宗の教えと信仰に則り、信前信後を問わず修善に心がけ徳を積み、感謝の生活をしましょう。」
とでもなるでしょうか。こう理解すると「光に向かって進む者は栄える」と言っても違和感はないでしょう。
(「それほどの業」を持っていますので、さるべき業縁がくればどうなるかは分かりませんけど)

皆さんはどのように理解していたでしょうか?