「21世紀の浄土真宗を考える会」ブログ(アーカイブ)

親鸞会除名後、多くの方に浄土真宗を伝え2012年7月にご往生された近藤智史氏のブログ

DABADA ならいいけど DAMEDA こりゃ

2009/11/11(水)


A いままでも、いまも、いまからも、救われることの絶対にない極悪最下の私であった、とハッキリ知らされた
B いままでも、いまも、いまからも、極悪最下の絶対に救われることのない私であった、とハッキリ知らされた

この2つの文章の違いについて説明します。
共通部分(“いままでも、いまも、いまからも”と“であった、とハッキリ知らされた”)を省き、違う部分だけを抽出します。
A’ 救われることの絶対にない極悪最下の私
B’ 極悪最下の絶対に救われることのない私

この2つのフレーズの違いをたとえます。

「救われることの絶対にない」-日本からアメリカまで自分で泳いで行けない
「極悪最下」-カナヅチ


これを挿入します。

A’’ 日本からアメリカまで自分で泳いで行けないカナヅチの私
B’’ カナヅチで日本からアメリカまで自分で泳いでいけない私


この2つの違いは分かりますでしょうか。

A’’は私はカナヅチであることを示しています。
B’’は日本からアメリカまで自分で泳いで行けないことを示しています。カナヅチであることはその理由です。


ですから、もっと縮めれば

A’’’ カナヅチの私
B’’’ 日本からアメリカまで自分で泳いで行けない私


となります。
A’’’とB’’’は明らかに違いますね。

さてここでアメリカまで自分で泳いで行けないのはカナヅチの人だけでしょうか。
アメリカという国がどこにあるのか知っている人は、カナヅチかどうか関係なく、泳いで行けないことは分かりますので、泳いで行こうとはしません。
古橋廣之進氏や入江陵介さん、北島康介さんのような泳ぎの上手な人から、普通に泳げる人、カナヅチの人、歩行さえ困難な人、寝たきりの人、意識の無い人まで、泳いで行ける人はいません。
では、日本からアメリカまで泳いで行こうと思っている人はどんな人かというと、
アメリカがどこにあるか知らない人
アメリカがどこにあるか知ってはいるが、飛行機や船などの手段があることを知らない人
アメリカがどこにあるか知ってはいるし、飛行機や船などの手段があることも一応は知っているが、飛行機や船に乗るには、まずある程度泳いで、死にかけないと乗ることができないと思っている人。
などではないでしょうか。
現実的には②はほとんど考えられませんが、これはたとえですので御了承下さい。
また、③の場合はやっかいですね。


ここで元の文章のAとBをもう一度読めば、「極悪最下」ということと「絶対に救われることのない」こととは無関係ではないけれども、違うことを表していると分かるのではないでしょうか。

ところで

①自分はアメリカがどこにあるのか知っていながら、カナヅチほどではなくても泳ぎが苦手な人に「泳げ、泳いでみて泳げないと分かったら別の方法を教えてやろう」と言う人がいれば・・・
→この人は無慈悲な人です

アメリカがどこにあるのか知っているから、とても泳ぎ着くこともできないと分かっているが、①の人が「泳げ、泳げ」と言うから泳いでいる人は・・・
→この人は可哀そうですとも言えますが、アメリカまで行く気のない人とも言えます。本当に行きたい気持ちがあれば、別の手段を探すでしょう。

なお、機の深信を説明する文章として「絶対に救われることのない」は誤解を招きますのであまりよくないでしょう。
取り上げたのは、違いを示すためだけです。
「生死を出離することのできるものを全く持っていない」
などとした方がよろしいと思います。