「21世紀の浄土真宗を考える会」ブログ(アーカイブ)

親鸞会除名後、多くの方に浄土真宗を伝え2012年7月にご往生された近藤智史氏のブログ

機法一体

2009/11/24(火)
先日、ある方と「二種深信」について話しておりましたら、どうもかみ合わないと感じました。
いろいろうかがってみると、「機法二種一具の深信」と「機法一体」そして「仏凡一体」が混乱していることに気が付き、それぞれ簡単にお話ししました。
「二種深信」と「機法一体」は西本願寺の「安心論題」の中にありますので、ネットで検索すれば説明しているサイトがあると思います。
「仏凡一体」は新「安心論題」からは外れましたが、旧「安心論題」にありますので、やはりネット上に説明されているサイトがあると思います。
検索が可能な方は、ご自分で調べて下さい。
当然のことながら、安心論題を説明した本にも書かれています。

ところで、なぜこのようなことになったのか考えてみますと、親鸞会の「教学聖典」中に

3-39 
問 法体成就の機法一体とはどんなことか。
答 阿弥陀如来の御手元に十劫の昔から完成しているところの南無阿弥陀仏の大功徳のことを言う。

3-47
問 信念冥合の機法一体とは、どんなことか。
答 信心決定して身も心も南無阿弥陀仏と一体になったことを言う。

という問と答があるからだと思います。

「法体成就の機法一体」「信念冥合の機法一体」という言葉は、私の持っている
 『真宗大辞典』(永田文昌堂)
 『真宗新辞典』(法蔵館
 『真宗辞典』(同)
 『親鸞辞典』(東京堂出版
のいずれにも出ていない言葉でした。
ネットで検索しても、この言葉を使っているのは親鸞会と大沼法龍師だけでした。
(ネットが全てではありませんので、一応参考まで)

確かに、この教学聖典の説明では、「機法一体」「仏凡一体」それに「願行具足」の意味が混乱するでしょうし、「機法」という言葉の入っている「機法二種一具の深信」とも混同が生ずることも致し方ないと思いました。
「機法一体」という言葉にはいろいろな意味・説相があり、そのうちの一つが「仏凡一体」に当たりますが、浄土真宗ではこれらは別の意味をあらわしますので、きちんと押さえておきたいと思います。