「21世紀の浄土真宗を考える会」ブログ(アーカイブ)

親鸞会除名後、多くの方に浄土真宗を伝え2012年7月にご往生された近藤智史氏のブログ

機法一体 その後分かったこと

2009/11/25(水)
 機法一体について調べておりましたら、加茂仰順師の『真宗の法義』(永田文昌堂 昭和42年発行)の中に次のような文がありました。(なお『真宗の御法義』とは別の本です)
 たしかに「法体成就の機法一体」という言葉はあります。
 ただ、これは「法体成就の上で語られる機法一体」の意味であり、これに対するものは「名号を領受した機の上で語られる機法一体」です。
 なお、下の文章は参考のためにあげたのであり、勉強していないと難しいですので、無理して読まれなくてもよいと思います。
 機法一体については、安心論題関連の書籍やサイトを見て下さい。

一、機法一体について
 いま申しますように、蓮如上人のおさとしの法義の特色は、機法一体、仏凡一体、タスケタマヘの義、信因称報の義を明らかにされたということにあります。
 しかるに機法一体の御釈は、六字釈に基づく機法不二を以て、他力廻向の信であることを示されるのであります。
 即ち善導大師の六字釈は、機法一体義と、願行具足の法義を示されるものです。しかし機法一体義は他力廻向義とその扱いを異にしています。また願行具足義は信心正因を示すものであります。
 しかして善導大師の上に於いて、玄義分に示される機法一体義は、法体名号の成就の上で示されるのです。また散善義の三心釈は、三心発起の所に於いて、一切願行成就することを示されるもので、衆生領受の上に機法一体がさとされてあります。
 宗祖にあっては、行巻六字釈は、機法一体を法体の上で語り給うてあります。即ち帰命の釈が、勅命に帰せしむる力を成就せりとされるのです。信巻ではこの法体成就の機法一体が、衆生に領受されて、機の上の機法一体義を成ずると釈されています。
 蓮如上人は、宗祖の行信不二の釈を承けて、機法一体の名目で語ってゆかれるのであります。そのことを御文章の三帖目の第七通には「されば南無阿弥陀仏の六字のいわれをよく心得わけたるをもて信心決定の体とす云々」と示されてあります。また御文章の四帖目第八通、同第十二通、同第十四通にもそのことがさとされてあります。