2009/08/19(水)
『歎異抄をひらく』(高森顕徹著 1万年堂出版 ISBN978-4-925253-30-7)を読みました。
「はじめに」に「読者諸賢のご批判に待つ。」と書かれてありましたので、「賢」ではありませんが、少し感想を述べます。
もちろん、歎異抄第3章の箇所だけです。
『歎異抄をひらく』の中で歎異抄第3章について書かれてあるのは、次の2箇所です。
(原文のみの頁は省略します)
1.第1部『歎異抄』の意訳
第三章 有名な悪人正機を言われたもの p52-55
2.第2部『歎異抄』の解説
9 なぜ善人よりも悪人なのか? p194-202
「善人なおもつて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」
の誤解を正された、親鸞聖人のお言葉
今回は1について述べ、次回、2について言及する予定です。
では早速読んでみましょう。
下段に「原文」、上段に「意訳」となっています。
意訳とありますので現代語訳とは違うのかと思いますが、それはそれとしまして、内容を見てまいりましょう。
まず文字数を数えます。(フォントによってずれますが御了承下さい)
漢字 157文字
かな 305文字
他の字 1文字(「々」)
句点 12文字分
読点 29文字分
括弧記号 10文字分
合計514文字の文章です。(純粋に文字だけですと463文字となります)
私の感想を申します。
文字数の比率で言いますと、99%正しいと思います。
1%間違っているということです。
その1%はどこかというと、
「自力の心をひるがえして」の訳に当たる「弥陀の徹見通りの自己に驚き」というフレーズの中の「自己に驚き」の5文字です。
「自力の心をひるがえして」と「(弥陀の徹見通りの)自己に驚き」は明らかに異なります。
「自己に驚く」とは私達の心のこと(意業)であり、これですと自力で助かることになるからです。
また、驚かなければ助からないとも取れます。
つまり、これを読んだ人は「驚く」ことに目が行きます。
驚こうとするのです。
このままでは20年や30年、50年どころか1億年求めていてもダメです。
驚く心など無いのですから。
先に99%正しいと書きましたが、100点満点の99点ということではありません。
あくまでも文字数で見た時の分量が99%正しいと言ったまでです。
したがいまして100点満点としますと、「捨自帰他」「信疑決判」という最も大事なところが間違っていますので0点です。
「画竜点睛を欠く」とでも申しましょうか。
ちなみに第2部の同じ原文に対する現代語訳は「本願を疑う自力の心をふり捨てて」となっており、こちらは正しいと思います。
第2部の訳をこっちへ持ってくれば、100点近くになります。
(純粋に文章表現のみの問題については考慮しません)
以上が私の感想です。
次回は第2部について述べます。