「21世紀の浄土真宗を考える会」ブログ(アーカイブ)

親鸞会除名後、多くの方に浄土真宗を伝え2012年7月にご往生された近藤智史氏のブログ

歎異抄第4章を読む その2 慈悲の説明

2009/09/10(木)

まず「慈悲」について辞典で調べました。
とりあえず、真宗新辞典(法蔵館)からです。

慈悲
慈は(梵)maitri もっとも深い友情を意味し、衆生をいつくしんで楽を与えること。悲は(梵)karuna 呻きを意味し、衆生を憐みいたんで苦を抜くこと。
与楽を慈、抜苦を悲とするが〔般讃、漢燈〕、抜苦を慈、与楽を悲ともする〔論註〕。
仏心は大慈悲であり〔観経〕、
仏の悲は衆生の苦を自己の苦として同感するので同体の大悲〔散義ー信・化本〕、
仏の悲はその上を蓋うものがない最上の広大なものであるから無蓋の大悲〔大経ー教〕という。
正道の大慈悲は出世の善根から生ずるとし、大慈悲仏道の正因であるという。
慈悲には衆生縁の小悲、法縁の中悲、無縁の大悲があり、安楽浄土は大悲から生起したものであるとする〔論註ー真〕。
衆生縁・法縁の慈は縁事、無縁の慈は縁理である〔要集〕。
大慈・大悲・大喜・大捨の四無量心を仏性とし、仏性は大信心である〔涅槃ー信〕。
凡夫は「小慈小悲もなき身」〔末讃〕。
聖道の慈悲は「ものをあはれみかなしみはぐくむ」こと、浄土の慈悲は「念仏していそぎ仏になりて大慈大悲をもておもふがごとく衆生を利益する」ことで、念仏こそ徹底した慈悲であるという〔歎異〕。

四無量心
4種のはかり知れない心。四無量、四等心。このこころにより梵天に生れるとし、四梵住ともいう。
⑴慈無量は限りなく衆生に楽を与え、
⑵悲無量は限りなく衆生の苦を抜き、
⑶喜無量は衆生の楽を見て限りなく喜び、
⑷捨無量は衆生に対して愛憎の心をすてて平等に利益すること。

大慈大悲を仏性となす…大喜大捨を仏性となす」〔涅槃ー信〕、
「慈悲喜捨して衆生を化したまふ」〔般讃〕、
「四無量・三解脱を修して今大聖牟尼尊を見たてまつる」〔要集〕、
「慈心不殺といふは四無量心をもて往生の業とするなり」〔選択〕、
「この四心によりて能く無量無辺の衆生をして菩提心を発せしむ」〔涅槃経要文〕。

喜捨
①他人の楽をみて楽しむ心と他人に対して愛憎の差別をせずに平等に接する心。
 「慈悲喜捨して衆生を化したまふ」〔般讃〕⇒四無量心

②金銭・物品を寺社に寄進すること。

辞典からは以上です。

なぜ「四無量心」という難しい言葉を出したのかといいますと、歎異抄第4章の「ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。」の説明の為です。
 あはれみー慈
 かなしみー悲
 はぐくむー喜・捨

ということになります。

なぜ「喜捨」について書いたのかといいますと、「喜捨」という言葉についてどこかで話題になっていたからです。
上にあげたように、第1義としては四無量心からきています。

衆生縁・法縁・無縁の三縁については項を改めて書きます。