「21世紀の浄土真宗を考える会」ブログ(アーカイブ)

親鸞会除名後、多くの方に浄土真宗を伝え2012年7月にご往生された近藤智史氏のブログ

観無量寿経のこころ その1 定善

2009/10/13(火)

8月中旬に「観無量寿経 覚書」として数回にわたり記事を書きました。
一つ一つが長く、難しかったので、再度書きたいと思います。
(唯信鈔・唯信鈔文意や歎異抄についても並行して少しずつ書いていきます)

観無量寿経 覚書 その1」では定善について述べましたが、今回もやはり定善について書きます。
観無量寿経に書かれている順番とか、重要な順ということではありません)

定善観には13種類あり、定善十三観と言います。
定善十三観は「依報観」と「正報観」に分けられます。
依報観とは阿弥陀仏の浄土の様相を観察すること
正報観とは仏や菩薩などを観察すること
です。
・依報観 日想観、水想観、地想観、宝樹観、宝池観、宝楼観、華座観
・正報観 像観、真身観、観音観、勢至観、普観、雑想観

それぞれに「仮観」と「真観」があります。
仮観とは私たちが実際に目に見えるものを思い描くことであり、真観への導入に当たります。
日想観、水想観、像観の三観が仮観です。
真観とは浄土の荘厳を観察することです。
以下は以前の記事の再掲です。

○依報観
 [仮観]     日想観(十三観に対する準備)、
          水想観(地想観に対する準備)
 [真観]
  《通依報》   地想観、宝樹観、宝池観、宝楼観
  《別依報》   華座観
○正報観
 [仮観]      像観
 [真観]
  《仏荘厳》   真身観
  《菩薩荘厳》 観音観、勢至観
  《自往生観》 普観
  《その他》   雑想観(仏荘厳、菩薩荘厳ができない人のために説かれた)

真観>仮観であり、
正報観>依報観であり、
仏荘厳>菩薩荘厳ですので、
第九真身観が一番勝れており、定善十三観の中心なのです。

さて、
韋提希夫人は定善をやった」
あるいは
韋提希夫人は定善をやろうとした」
と思っている人がいますが、
韋提希夫人は定善をやってもいませんし、やろうともしていません。

【理由】
1.韋提希夫人は釈尊に「世尊、わがごときは、いま仏力をもつてのゆゑにかの国土を見る。もし仏滅後のもろもろの衆生等、濁悪不善にして五苦に逼められん。いかんしてか、まさに阿弥陀仏の極楽世界を見たてまつるべき」とお願いして、その答えとして釈尊は定善を説かれました。
 つまり「私はお釈迦様のおかげで浄土を見ることができましが、未来の衆生はどうすれば見ることができるのでしょうか」と質問しているのですから、既に浄土を見た韋提希夫人にとって、定善をする必要はありません。
2.そもそも、韋提希夫人には定善はできません。
 日想観をやろうとしてできなかった韋提希夫人に水想観、地想観・・・と順番に易しくして導かれたと勘違いしている人がいますが、上に述べたように、定善十三観の中心は第九真身観です。
 日想観は雑想観とともに一番易しい方に入ります。
 もし韋提希夫人がやろうとしてできないために、他の定善をすすめられたとするならば、それはちょうど、4段の跳び箱を飛べない子供に、「では5段をやってみなさい」「そうかできないか、では6段をやってみなさい」「では7段」「8段」・・・と言う体育の先生のようなもので、いるはずがないのです。

 世の中にはやってみなけらば分からないことと、やらなくても分かることがあります。
 たとえば、ハーバード大学に入学するということはやってみなければ分からないとも言えます。
 しかし、国際宇宙ステーションに歩いて行くことは、それがどこにあるかを聞けば、やってみなくてもできないことは分かります。
 定善がどういうものか聞けば、できないことは分かります。