2009/10/14(水)
次に散善について述べます。
過去の記事は「観無量寿経 覚書 その7」です。
散善は「発起序」中の「散善顕行縁」と「九品段」に説かれています。
「三福」については、ここなどをご覧下さい。
定善と散善について、善導大師は『観経疏 玄義分』に
定善の一門は韋提の致請にして、散善の一門はこれ仏の自説なり。
と書かれています。
定善は韋提希の請によって説かれましたが、散善は釈尊の自説です。
(唯請定善・自開散善、散善は不請の法)
定善ができる人となると限られていますので、凡夫のために自ら説かれたのが散善なのです。
その散善も
仏、韋提希に告げたまはく、「なんぢいま、知れりやいなや。この三種の業は、過去・未来・現在、三世の諸仏の浄業の正因なり」と。
と観無量寿経に書かれていますように、成仏の行であり、基本的には聖道門の行なのです。
観無量寿経の真意は、定善どころか散善さえもできない悪人のために本願力回向の念仏・信心をあきらかにすることであったのです。
ですから、定善と同様、韋提希は散善をやってはいませんし、やろうともしていません。