2009/12/06(日)
前にも書きましたが、信心を理解しようとしている人がいますが、凡夫の私たちには絶対に理解できません。凡夫どころか弥勒菩薩でもできません。よく、「聞く一つ」ということを聞きますが、私が助かる道は聞く一つである、つまり聞く一つで私のお助けの解決がつくのである。だから聞けよ、聞けよと言われるのであると思っていました。これは全くの間違いであることを知らされたのであります。聞けよ、聞けよ、とか、聞く一つ、と言われることは、本当に聞かす一つということでありました。聞かす一つとは、如来の方からのおはたらきがあったのであります。
『真宗安心』(加茂仰順師)より
信心を理解しようとしている間は、信心獲得はできません。
加茂和上も言われているように、聞く一つは「聞かす一つ」であり、聞こえて下さるのです。
今まで聞いたことに、何か足して救われるというものではありません。
助けて下さいという私を助けて下さるのではなく、助かろうともしない私を助けて下さるのです。
助けるという弥陀に助けられるのです。
聞くより前のお助けです。
お軽同行も言っていますよね。