2009/12/08(火)
前々住上人(蓮如)、法敬に対して仰せられ候ふ。まきたてといふもの知りたるかと。法敬御返事に、まきたてと申すは一度たねを播きて手をささぬものに候ふと申され候ふ。仰せにいはく、それぞ、まきたてわろきなり。人に直されまじきと思ふ心なり。心中をば申しいだして人に直され候はでは、心得の直ることあるべからず。まきたてにては信をとることあるべからずと仰せられ候ふ[云々]。
(御一代記聞書106条 註釈版聖典1265頁)
〔現代語訳〕
蓮如上人が法敬坊に、「まきたてということを知っているか」とお尋ねになりました。法敬坊が、「まきたてというのは、畑に一度種をまいただけで、何一つ手を加えないことです」とお答えしたところ、上人は、「それだ。仏法でも、そのまきたてが悪いのである。一通りみ教えを聞いただけで、もう十分と思い、自分の受け取ったところを他の人に直されたくないと思うのが、仏法についてのまきたてである。心に思っていることを口に出して、他の人に直してもらわなければ、心得違いはいつまでたっても直らない。まきたてのような心では信心を得ることはできないのである」と仰せになりました。
あくまでもお互いに面識がある場合のことですが、仏法上のこと(特に信心のこと)を、メールで質問をして、メールの答えを待っている人がいると、私はついついこう思います。
あの質問はあまり重要ではないのだろう。
電話もあるのだから、電話で聞けばいいのに。
質問でなくてもいいのです。
心に思っていることを口に出すことがいいのです。
メールにすると文章を考えますよね。
それはよそいきです。
化粧などしないで、すっぴんがいいのです。
一番いいのは直接会うことです。